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タイトル-湯先生の部屋

中国の食文化
 
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シュウマイの話 10/02/05
各地の
シュウマイ

シュウマイは中国でもっとも有名な料理の一つで全国各地どこにでもありますが、土地によって呼び方が違います。例えば山西省では「梢梅」、湖北省では「焼梅」、浙江省や江西省では「焼売」といったぐあいです。北京のシュウマイは、山西省から伝えられたもので「焼麦(shao-mai)」といいます。これは梢梅(shao-mei)の音が訛ったのだという説と、シュウマイの上のヒダが麦の花が綻びるのに似ているからだという説があります。

 
北京の
シュウマイ
北京にある「都一処」というレストランのシュウマイは二百数十年の歴史があります。1738年(清の乾隆帝の3年)、山西省の王福祥という人によって伝えられました。
彼は北京にやってくると、親戚の助けを受けて繁華街のはずれに小さな料理屋を開きました。 シュウマイの他、酒のつまみなどを作って出すささやかな店でした。間口もせまいので看板も掲げず、酒を入れるヒョウタンを一つ店先にぶら下げているだけなので、常連の客たちは「破れヒョウタン」と呼んでいました。値段も安く、酒を薄めたりしない正直な経営と、衛生面にも気を配っていましたので、店はいつも賑わっていました。次第に主人の王店長の懐ぐあいも良くなり、1742年、貯めたお金で2階建ての店を作りました。商売は相変わらず繁盛していましたが、小さな規模で儲けも少なく、王店長は他の店よりも早く開き、夜遅くまで営業しました。朝から晩まで、身を粉にして働いたのです。しかも年中無休で店を開き、休みは大晦日の夜中から5日間だけでした。
 
不思議な客

1752年の大晦日のことです。「破れヒョウタン」はまだ営業していました。午後10時頃、店には2人の客がいました。彼らは窓辺の席に座り、つまみを食べながら酒を飲んでいました。年配の方の人が「この料理はうまい!」としきりに言っています。そして支払いのとき、その男は「この店は何という名なのか」と聞きました。主人が「名前はないのですが、皆は『破れヒョウタン』と呼んでいます」と答えると客の男は思わず微笑みました。外を眺めると、どこも店を閉めてしまって真っ暗です。開いているのはこの店だけでした。男は「こんな時間に開いているのはこの店だけだ。北京の都でただ一つの店。『都一処』という名にしたら良い。」と言いました。主人と店員は喜んで礼を言い、客を見送りました。

 
「都一処」

1ヶ月ほどたったある日、皇帝に仕える8人の役人が『都一処』と書いてある大きな額看板を抱えてやって来ました。更に多くの役人たちが鳴り物をならしながら「破れヒョウタン」に向かってきます。この時やっと気がついたのです。大晦日の晩にここで酒を飲んでいた年配の人、「都一処」と名付けてくれた人こそ乾隆帝その人だったのです。乾隆帝は自ら看板を書き、この店に掲げました。そして友人、知人を集めて盛大な宴会を開きました。それ以来、「都一処」の名声は更に高まり、多くの人が集うようになりました。

 
都一処の
シュウマイ
同治年間(1862〜1874年)に店の経営は王店長から次の世代に受け渡されました。そしてシュウマイの種類も増えていきました。伝統的なネギと豚肉のシュウマイの他、エビや卵を加えた数鮮シュウマイ、エビシュウマイなどです。回鍋肉や野菜炒めも加わりましたが、店の主役はやはりシュウマイです。都一処のシュウマイは至る所にコダワリがあります。皮は薄く、わずか0.5ミリの厚さ。蒸すときは雪のように白く、蓮の花のように見た目もきれいに仕上げます。薄い皮に包まれた中身はたっぷりと新鮮な具材を使い、味も香りも最高です。
三鮮シュウマイは卵とひき肉、エビを混ぜ合わせ、椎茸やタケノコも加えます。これで味も香りも一層良くなるのです。また9〜10月の期間限定で販売されるカニシュウマイは新鮮なカニの風味が活かされています。
 
郭沫若も 都一処には有名人もたくさん訪れています。日本とも関係が深い郭沫若もその一人。生前、夫人と共によく来店し、1964年には食後に「都一処」の額を書いています。また夫人の于立群も毛沢東主席の詩を高さ2m、幅3mの壁掛けに書いています。  
 
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