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タイトル-湯先生の部屋

中国の食文化
 
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麺の話 10/05/05
発祥の地は?

世界中に多種多様な麺料理がありますね。本当に人間は麺が好きな生き物のようです。ところでこの麺料理はいつどこで生まれたのでしょう? 古くから、中国発祥説、アラビア説、イタリア説があり、議論を戦わせてきました。アラビアもイタリアも、2000年前に彼らの先祖が麺料理を発明したと主張していたのです。ところが近年、イギリスの「ネイチャー」誌に一つの論文が掲載され、この議論に決着がつきました。
「中国西北部・青海省の黄河付近の遺跡で、保存状態の良い麺が発掘された。色は黄色で、太さ約3mm、長さ50cm、現在のラーメンによく似ている。ラーメンと同様、手で伸ばして作ったもので、原料は小麦ではなく粟を使っている。」
この遺跡は4000年前のものと考えられていますので、アラビアやイタリアより2000年も前から中国では麺を食べていたことが証明されたのです。

 
中国での歴史 中国の麺料理の記録は漢代まで遡れます。当時はすべて「餅」と呼ばれ、煮て食べていたので「湯餅」とも呼ばれていました。形も、棒状のものと小片状のものがあり、いずれも手で伸ばして作っていました。
魏、晋、南北朝の時代になると種類も増え『斉民要術』には、箸くらいにした麺をニラのように薄くした「水引」や、現在の「すいとん」のようなものなどが記録されています。
隋、唐、五代時期ななると種類は更に増え、詩人の杜甫が「食べると雪のようだ」と称賛した「冷淘」という冷麺などが生まれました。
宋、元の時代になると乾麺が現れ、多くの麺が販売されました。
明、清時代に至ると品種は更に増え、清代の劇作家・李漁の『閑情偶寄』には「五香麺」「八珍麺」が載っています。これらは5種、8種の動植物の材料を麺に混ぜたもので、麺の高級品といわれています。
 
こだわりの作り方

清の薛宝辰の『素食説略』に「削麺」の記載があり、麺はしっかり揉んで手で伸ばし、小刀で薄く、細長く切りながら湯に放り込み、茹であがったところを掬って食べるのが良い、と書かれています。
麺の作り方は各人各様で、名人といわれた袁枚や李漁は独特の麺作り論を持っていました。袁枚は、たっぷりのスープで麺が見えないくらいが良いとし、骨を取り除いたウナギをまるごと鶏やハム、キノコと煮込み、少量の麺にかけて食べる「鰻麺」を考案しました。
反対に李漁は、スープの味はあっさりとさせ、麺の美味しさを引き立たせるのが良いとして「五香麺」と「八珍麺」を作りだしました。「五香麺」は自家用、「八珍麺」は来客用としていたようです。

 
各地の名品

各地の名物とされる麺にはそれぞれ、麺にまつわる物語があります。

【三鮮伊麺】
伊尹の母親は長年病で寝込んでいました。彼は母のために卵麺を作り、蒸してから油で揚げておき、自分が家にいなくても母が食べやすいようにしておきました。しかも日持ちも良く、スープも鶏肉や豚骨、海鮮など栄養豊富なものを作りましたので、母親の病気は次第に回復していきました。それで別名、孝子麺と呼ばれています。
現在のインスタントラーメンのような感じですね。

【坦々麺】
四川省でもっとも有名なのが坦々麺です。昔、陳宝宝は麺や材料を担いで町を売り歩きました。それだけでなく、鍋やコンロも持ち歩いていましたので、量や味付けも意のままに、アツアツの麺が食べられたのです。こうしたお客第一の経営が坦々麺の興隆をもたらしたのです。

【嫂子麺】
陝西省の岐山の嫂子麺には、こんな物語があります。
父母を亡くした貧乏学生は、兄夫婦に養われていました。兄嫁(嫂子)は麺作りが得意でしたが、その学生に学問で成功させたいと思い、いつでも本が読めるように、麺に肉や野菜を混ぜて食べやすくし、辛子も加えて食欲が出るようにしました。おかげで学生は科挙の試験に合格したのです。この話を聞いた多くの人は、自分の息子もこれにあやかりたいとこの麺を作りましたが、落第することも多く「嫂子麺」では恥ずかしいと思って単に「肉入り麺」とも呼ぶようになりました。

【酸辛老友麺】
周さんは病気の友人を訪ね、ニンニクなどを使った酸辛湯の麺をふるまいました。友人は食べ終わると全身から汗が出て健康が回復しました。それで「老友麺」と呼ばれるのです。

以上はほんの一例にすぎません。こうした話を知った上で食べると、私たちの生活に溶け込んだ麺も一味違って感じられるでしょう。

 
誕生日の麺

日本では誕生日にはバースデイケーキが一般的ですが、中国では誕生日に麺を食べる習慣があります。
はるか昔、彭祖(ほうそ)という仙人がいました。養生術にたけ767歳とも、あるいは800歳以上も生きたとされ、中国では長寿の代名詞的存在になっています。漢の武帝のとき、ある日君臣たちが政治の仕事が終わって一休みしていた時、一人が「顔が長いと長寿になる」と言うと別の一人が「いや、人中(鼻の下の部分)が長いと長寿なのだ」と言います。そこで大臣の東方朔は「人中が長ければ長寿なら、800歳まで生きた彭祖の顔は、どのくらい長かったのだろう!」と言い、皆大笑いしたそうです。この話が民間に伝わり、「顔が長いと長寿」から「面が長いと長寿」となり、面=麺となって誕生日に長寿を願って麺を食べる習慣が出来上がっていったのです。

 
現代の麺文化 1980年代あたりから、中国でもインスタントラーメンが急速に発展してきました。2004年の統計では、生産量が480億食分、金額にして290億人民元に上りました。
中国では麺を食べるということが生活の中に溶け込んで、習慣やものの考え方にも密接に関係しています。誕生日のほか、婚礼や引っ越しには欠かせません。また陰暦2月2日の「龍抬頭」には天候の安泰を祈って麺を食べる習慣が残っています。時と所に合わせた麺を食べるところに中国の文化が垣間見られるようです。
 
 
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