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タイトル-湯先生の部屋

中国の食文化
 
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チャーハンの話 10/04/05
中華の定番

チャーハンは今や代表的な中国料理ですね。どんな家庭でも日常的に食べるでしょうし、有名無名の中華料理店には必ずメニューに載っています。ところがこのチャーハン、実は中国で生まれたものではないのです。そういえば、主食のご飯と副菜の卵や肉、野菜などを一緒に調理する方法は、中華料理の中でも独特といえます。

 
中央アジアから チャーハンが生まれたのは中央アジア、今の新彊ウイグルあたりと考えられています。班固の『漢書』にそれに関する記事が掲載されていますが、いずれにしても中央アジアの少数民族の料理法だったようです。こうした主食と副菜を一緒に調理する方法は、河西走廊(黄河の西の地帯)から中国本土に伝わり、次第に広まっていきました。そこで大きな役割を果たしたのが、班超や張騫という人物だったようです。二人ともこの料理が好きでいつも食べていたので、噂が広まっていったのです。  
伝播ルート

チャーハンが中国本土に伝わったルートは2つあるようです。一つは河西走廊から北の草原地帯に進み、モンゴルの遊牧民、それから中国東北部の満州族、そして漢民族へと伝わったコースです。現在の満漢全席にあるチャーハンがこれにあたります。このコースを辿ったチャーハンの調理法は次第に変化し、使用する卵は鶏だけでなく、鴨やアヒル、その他いろいろな鳥の卵が使われています。ご飯も米の他、高粱米やトウモロコシを使いますが、粟やキビは硬くなって卵との相性が悪いため使いません。
このコースで伝わったチャーハンはその後、満州族の皇帝が好まれたため宮廷料理のレシピに加えられ、現在でも北京や瀋陽の故宮博物館にその記録が残されています。
ラストエンペラーとして有名な皇帝溥儀の最後の側室だった李玉琴は、戦後の1949年から図書館員として働いていましたが、いつも昼食にチャーハンを持って仕事に行っていました。彼女が言うには、溥儀はチャーハンが大好きで、彼女のチャーハンは宮廷料理のレシピ通りに作っているとのことです。実は彼女自身が宮廷の厨房で教えたもので、これこそが正しい作り方だと言うのです。

 
南方ルート

もう一つのルートは、河西走廊から南へ進み南京あたりに至ったものです。その後、改良が加えられて揚州炒飯として名声を得、揚州名物と言われるようにまでなっています。言い伝えによると、隋の煬帝が江都(今の揚州)を巡幸した時に一緒に伝えられたようです。もともとの揚州炒飯の作り方は至って簡単なもので、広く民間にも広まっていましたが、次第に改良されて現在では広東、台湾、日本などにも伝わっています。

 
ピラフとの違い

チャーハンの元になった、主食と副菜を一緒に調理する方法は、西方へも伝わって行きました。ピラフやリゾットが現在の形です。ところでチャーハンとピラフの違いとは何でしょう。皆さんがチャーハンを作る時、おそらく残りご飯を使うことが多いでしょう。つまり炊いたご飯に具材を合わせて調理するのがチャーハンです。一方ピラフは、米を油で炒めてからスープで炊くのが基本的な調理法です。つまり出発点は同じでも、作る工程がまったく違ったものになったのです。

 
卵を先に 具材を炒めるのもチャーハン独特の順番があります。先ず強火で卵を混ぜながら炒め、次にご飯を炒めます。厳密に言うと、ご飯を炒めてから卵を加えるのは「焼き飯」になります。微妙な違いですが、美味しいチャーハンを作るためのこだわりとも言えますね。
炒める時は強火が原則です。強火で炒めることでパラリとした仕上がりになります。中華料理全般に言えるのですが、火力は料理の味に大きく関わっています。つまり強い火を扱えるようになって初めて、チャーハンという料理が出来たのです。
 
おススメ炒飯 エビチャーハン、ハムチャーハン、三鮮チャーハン、五目チャーハンなどなど、チャーハンといっても色々ありますが、揚州炒飯の決定版は「金包銀五目炒飯」でしょう。溶いた卵にご飯を入れ、米粒が黄色く包まれたら、ハム、エビ、ワカメ、コーン、椎茸など18種類の具材を一気に炒めます。良い香りが漂い、色鮮やかで、口に入れるととろけるような最高の味わいです。  
 
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