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チャーハンが中国本土に伝わったルートは2つあるようです。一つは河西走廊から北の草原地帯に進み、モンゴルの遊牧民、それから中国東北部の満州族、そして漢民族へと伝わったコースです。現在の満漢全席にあるチャーハンがこれにあたります。このコースを辿ったチャーハンの調理法は次第に変化し、使用する卵は鶏だけでなく、鴨やアヒル、その他いろいろな鳥の卵が使われています。ご飯も米の他、高粱米やトウモロコシを使いますが、粟やキビは硬くなって卵との相性が悪いため使いません。 このコースで伝わったチャーハンはその後、満州族の皇帝が好まれたため宮廷料理のレシピに加えられ、現在でも北京や瀋陽の故宮博物館にその記録が残されています。 ラストエンペラーとして有名な皇帝溥儀の最後の側室だった李玉琴は、戦後の1949年から図書館員として働いていましたが、いつも昼食にチャーハンを持って仕事に行っていました。彼女が言うには、溥儀はチャーハンが大好きで、彼女のチャーハンは宮廷料理のレシピ通りに作っているとのことです。実は彼女自身が宮廷の厨房で教えたもので、これこそが正しい作り方だと言うのです。
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