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中国八大料理
 
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浙江料理 11/01/05
豊かな自然資源

浙江省は東部が海に面し、長い海岸線に格好の漁場が密集して水産資源に恵まれています。魚貝類は500種以上あり、漁獲量は全国一です。また北部は網の目の様に水路がめぐり、北の太湖まで続く平原は米や桑の主要な産地になっています。それでこの一帯は「魚米の里」と称されています。さらに西南地域は丘陵が起伏し山の珍味が豊富で、浙江の人々はこの豊かな自然資源を利用し、数多くの浙江料理の傑作を作り出してきました。

 
形成の歴史

浙江料理も長い歴史を持ち、『黄帝内経』には「東方の町は天地の始まりの場所で、その人々は塩を使って食を楽しんでいた」との記述があり、『史記』にも「楚、越の地では米や魚を食べ・・・」と記されています。また1973年に浙江省の余姚にある早期新石器時代の河姆渡遺跡で大量の稲や穀物、猪・鹿・虎・雁・鴉・鷹・魚など40種以上の動物の残骸が発掘されました。同時に釜、盆、鉢などの陶製の生活用品も出てきました。研究者によるとこれらの文物は7000年くらい前のものということです。
呉越春秋期、越国は会稽(今の紹興)に都を置き、銭塘江流域の農業、商業、手工業は目覚ましい発展を遂げました。越王勾践は軍備を整えるとともに大型の養鶏場を作って前線の食料に備えました。浙江料理最古の、そして紹興料理で今も有名な「清湯越鶏」はこの頃作られたのです。数千年前から使われていた豊富な食材は浙江料理の中で受け継がれ現在に至っています。
南北朝以後、江南地方は数百年にわたって戦火を免れ、寧波と温州は海運の要衝となり海外との貿易の拠点として大きく発展しました。経済が盛んになるにつれ調理技術も目覚ましい飛躍を遂げました。
南宋の都が杭州に移されると浙江料理は「南食」の中心となりました。北方の文化人が移住してくると、彼らが持ち込んだ旧都の料理法と杭州伝統の調理法とが混ざり合い、飲食業は一層盛んになりました。呉自牧の『夢梁録』、西湖老人の『西湖老人繁勝録』、周密の『武林旧事』などには当時の杭州の街中の食文化の様子が詳しく書かれています。『夢梁録』巻16『分茶酒店』には当時の杭州には280種以上の料理、15種以上の調理法があり、豪華なレストランが林立し、大衆の食堂は至る所にあったと記されています。南宋以後の数百年間、政治の中心は北にありましたが名料理人の多くは杭州に集まり、浙江料理の発展に寄与しました。現在の浙江料理のほとんどはこの時期に作られたものです。
現代になると浙江料理も様子が変わってきました。個人の生活が豊かになるにつれ客の好みも変わり、個人営業の店では活き造りが主流となりました。伝統料理も創意工夫を重ねて新時代の要求に応えるように変わってきています。

 
料理の特徴

浙江料理は、浙江省の代表的な都市の名を冠する4つの種類に分けられます。
≪杭州料理≫
杭州は風光明媚な土地柄で皇帝や文化人たちが多く集い、景色と料理を楽しむ文化の中から数多くの名菜が生まれました。旬の野菜や野草など素材の豊富さを特徴とし、調理法は細やかで変化に富み、煮炒め、炒め煮、油炒め、あんかけ、揚げ物を主としています。
≪寧波料理≫
寧波は沿岸地方なので、海鮮を主とし、塩味と新鮮さを一体化させたところに特徴があります。蒸し物、焼き物、煮込み料理に優れ、新鮮な柔らかさ、滑らかさを重視し、材料本来の味にこだわっています。
≪紹興料理≫
淡水魚と水鳥、家禽の調理に優れ、柔らかい歯触りで、郷土色豊かな料理です。
≪温州料理≫
家禽や家畜のほか、東シナ海の多彩で新鮮な海産物を特徴とします。

 
代表的な料理

「おいしい薬膳」の「中国歴代皇帝養生レシピ」でご紹介しました「龍井蝦仁」のように、浙江料理にはこの地方の歴史につながる逸話がある料理も多くあります。

≪西湖醋魚(魚の甘酢あんかけ)≫
むかし西湖に漁をしながら生計をたてていた宋という兄弟がいました。そこに地元の悪代官が兄嫁の美しさに惹かれて自分のものにしようとたくらみ、兄を殺してしまいました。兄嫁は弟を逃がそうと思い、砂糖やお酢がタップリ入った魚料理を持たせました。そして「将来良い暮らしができても庶民の苦しみを忘れてはいけない。」と告げました。 その後弟は出世して悪代官を処罰しました。ある日、宴会に招待されたその席で、兄嫁が食べさせてくれた料理とまったく同じ味の魚を口にしてたいへんに驚きました。調べたところそれは紛れもなく兄嫁の手料理で、彼女は悪人の報復を恐れて名前を変えていたのです。ようやく兄嫁を見つけた弟は役人を辞めて兄嫁とふたたび漁の暮らしに戻ったということです。それ以来人々は宋家の兄弟をたたえてその調理法をひろめ、杭州料理の定番となりました。なお醋とは中国語で酢の事です。

≪東坡肉(豚の角煮)≫
一般的に中国語で角煮と言えば、「紅焼肉」と呼ばれます。わざわざ別の名前がある以上は違いがあるわけで、東坡肉の特徴は、簡単に言って次の2つです。
1.水を使わず、紹興酒で煮る。
2.小さく切って、一人分ずつ壷に入れて供する。
何故1、2を守らねば「東坡肉」にならないのかという理由は、この料理の由来に深く関わっているのです。
今から約千年前、蘇の東坡は政治家・詩人・書家として当代一流で、文章家としても後世に多大な影響を与えた存在でした。そんな彼が、杭州に知事として赴任したときのことです。蘇東坡は荒れ放題だった西湖を整備するなどの善政を施したので、土地の農民から大層慕われました。農民たちは、日ごろの感謝の気持ちを込めて、正月が来ると大量の豚肉を彼に贈りました。しかし、そんなにたくさんの豚肉を食べ切れるわけがありません。そこで、彼は家人に「この豚肉を小さな塊に切り分けて角煮を作り、紹興酒と一緒に各家庭に送り届けよ。」命じました。ところが、うっかり者の家人は「酒と一緒に送る」を「酒と一緒に煮込む」と間違ってしまったのです。これが怪我の功名で、出来上がった角煮はすこぶる美味で、農民たちは口々に誉めそやしました。その後、この新しい料理は普通の角煮とは区別され、彼の名を冠して「東坡肉」と呼ばれるようになり、今に伝わっているのです。

≪叫花鶏(鶏肉の包焼き)≫
叫花鶏の名前の由来にはこんな話しがあります。
昔、こじき(叫花)がニワトリ盗みました。ところが鍋も釜もありませんので、後で食べようと地面を掘って埋めて隠しておきました。後から来た人が、そんなことは知らずに、焚き火をしました。再び、こじきが隠したニワトリを掘り出してみたら、いい加減に蒸されて美味しかったので、料理として有名になったということです。

この他にも
≪宋嫂魚羹≫( 「宋姉魚のスープ」とも呼ばれるもので800年の歴史があるそうです。「桂魚」の身と、中国のハム、干し椎茸や葱・生姜などと一緒に煮込んだとろみのあるスープです。)などなど特徴のある料理がたくさんあります。

 
 
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