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山東料理 10/12/05
豊かな食材

山東省は黄河の下流域に位置して肥沃な平地が広がり、遼東半島が渤海と黄海の間に突き出て海に幸にも恵まれています。食糧の生産量は全国の第3位で、野菜の種類も非常に多く、品質が優良で、“世界の三大菜園”の一つと呼ばれています。例えば、膠州のハクサイ、章邱のネギ、蒼山のニンニク、莱蕪のショウガは国内外で有名です。果物の生産量も全国のトップクラスで、リンゴの生産量は全国の40%以上を占めています。水産物の生産量も全国の第3位で、フカヒレ、ナマコ、エビ、鯛、アワビ、ハマグリ、ホタテなど特産品を挙げたらキリがありません。

 
形成の歴史

山東料理の歴史は古く、『尚書・禹貢』に「青州貢塩」の記載があります。これは少なくとも中国古代の夏の時代に調味料として塩を使っていたことを表しています。また周の時代の『詩経』には黄河の鯉を食用にしていたと記されています。鯉料理は今でも山東料理の中でも特に際立ったものの一つです。こうしたことから考えると、春秋戦国の頃には山東料理の雛型が出来上がっていたことは間違いないでしょう。
斉・魯両国は自然条件に恵まれ、特に海と山に面した斉は国力を強めて桓公の時代には春夏の覇者の地位を確立しました。この桓公に仕えた料理人の易牙は、桓公が「人間の赤子は食べたことが無い。」と言うと、自分の子供を蒸し焼きにして献上した、という伝説が伝えられています。実際のところは分かりませんが、易牙の料理の腕が群を抜いていたことは確かなようです。
同じ頃の孔子は『論語』の中で、食事の礼節をこまごまと述べた中に「色悪不食、臭悪不食、失餒不食、不時不食、割不正不食、不得共醤不食」と書いています。これは「色や臭いの悪いもの、腐ったものは食べない。料理の法にかなったものでなければ食べない。料理にふさわしい醤がなければ食べない」という意味です。既に当時、羊の肉にも魚にも、それぞれに合った「醤」があって、 なんでも同じ醤で食べていたわけではなかったということが分かります。また衛生面や見た目の美しさに気を配っていたことも窺い知れます。
秦・漢の時代になると山東省の経済は空前の繁栄を遂げます。地主や富豪は大きな屋敷に住み豪勢な生活を送っていました。『諸城前涼台庖厨画像』という絵画に当時の厨房の様子が描かれています。その中には、豚や羊、鶏、兎などの禽獣類やさまざまな魚・野菜を料理する人たちが忙しく働いています。
北魏の『斉民要術』は当時の山東料理の全体を整理してまとめたもので、焼く、煮る、炒める、蒸すなどの調理法が詳しく書かれ、多くのレシピも記されています。これはその後の山東料理の発展に大きく寄与しました。隋、唐、宋、金の時代を経て、山東料理は北方料理の代表となったのです。
元、明、清の時代になると新しい展開を迎えます。宮廷料理に取り入れられ、その中核を為すようになりました。都が北京におかれるようになっても、北京には皇帝を満足させる料理人は少なく、山東省から多くの料理人が呼び寄せられました。つまり北京の宮廷料理は山東料理を中心に展開されたのです。今では北京料理を中国四大料理に数える人もいますが、実際は山東料理の発展形が北京料理というわけです。

 
料理の特徴

山東料理の特徴をまとめると、やや塩辛く、香りがよくて口当たりは柔らかく、彩りが鮮やかで繊細な見た目といったことが挙げられます。
また透明なスープ(清湯)と白く芳醇な牛乳スープがよく研究されて使われています。

 
代表的な料理

≪膠東料理≫
膠東地方の福山を中心に発展した料理系統で、独特の炒め、揚げ、蒸しなどの調理法に優れています。魚貝などの海鮮が多く使われ、アワビやナマコ、エビ、カニなどを使った料理が有名です。

≪済南料理≫
済南、徳州、泰安などを中心に発展した料理系統。やや内陸に位置しているため冬が寒く、カロリーを取るための脂っこい味付けが好まれます。内臓を一緒にした豚肉料理や淡水魚料理が特に有名で、新鮮なうまみ、歯ざわりのよさ、柔らかさが主な特徴です。

≪曲阜料理≫
曲阜は孔子の故郷で、曲阜料理は孔府のある曲阜市付近で独自に発達した特殊な料理です。歴代帝王が孔子のための祭典にささげるための料理から発展し、非常な精巧さで名高いものです。有名な「満漢全席」にも取り入れられています。

 
 
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