1.元代以前
戦国時代の末から南宋末までの間、四川省には3度にわたる大規模な移民の流入がありました。1回目は秦が蜀を滅ぼし始皇帝が全国を統一した後の秦の人々や各国の豪族たちの移住です。2回目は東漢末の動乱の中、劉焉や劉備が支配していた中原の人々の移入。そして3回目は唐末の混乱期の中原の人々の大量の移入です。この3度の移民の流入は、いずれも高い文化を四川にもたらしたという共通点があります。こうした移民により四川の文化は大きく発展し、その中で独特の食文化が生み出されました。
≪秦、西漢時代≫
この300年余りの間に四川の経済は大きく発展しました。成都を中心として多くの物産が集まり飲食業も盛んになりました。揚雄の『蜀都賦』には「五味を調え、各地の珍しい食材を集めて[五肉七菜]の宴会料理を作った」と当時の様子が記されています。中原の「五味調和」の食文化を基礎に、古典的な四川料理がこの時代には既に現れ始めていたと考えられます。ただし、こうした料理はあくまでも上層階級のもので、下層の一般庶民は以前通りの食生活が続いていました。この時代の四川文化は秦・漢の先進文化に同化され、まだ独自性は見えてきません。
≪東漢末、魏晋時代≫
東漢が成立してからも四川の経済文化は発展し続け、四川料理にも特色が現れてきました。東漢時代の副葬品の中にあった『庖厨俑』には水餃子が載っています。このことから当時既に小麦の加工技術がかなりの高水準に達していたと考えられます。
三国時代になると成都は政治の中心地となり、2回目の移民によって経済文化は一層発展しました。食生活も格段に豊かになり「尚滋味(味を重視する)、好辛香(辛さと香りを好む)」という特色をもった独自の料理体系が、この頃に出来上がったと考えられています。
≪隋、唐、五代時代≫
西晋末の戦乱のため多くの人々が東に移り、この地の経済文化は大きな打撃を受けました。隋・唐の時代になって全国が統一されると生産性が回復し、経済は空前の発展を遂げます。四川地方の人口は増加し、そのための街作りも盛んに行われました。人々の生活も豊かになり、食文化も新たな高みに至ります。唐代の詩人・杜甫も四川で官職にあった時、多くの四川料理を楽しみ、その詩に詠み込んでいます。
唐代末の混乱期には多くの文化人がこの地に避難してきましたので、さまざまな文化交流が行われました。当時の記録によると、貴族や文化人たちは「厨膳」、「野宴」、「船宴」、「遊宴」など数多くの名前の宴会を開いては四川料理を楽しんだようです。これも食文化の水準を一層高める機縁となりました。
≪北宋、南宋時代≫
北宋の時代になっても四川の経済文化の繁栄は続き、この時期に四川料理は全国に広まっていきました。このことは四川料理が一つの独立した料理体系として確立したことを表しています。この時期に四川料理を広めるのに活躍した一人に蘇軾がいます。彼は実際に色々な料理を作り、それを詩にしたものが数多く残されています。また陸游も四川の官職に在ったとき四川料理の虜になり、50首以上の詩を残しています。このようにして東漢末、魏晋時代に始まった四川料理は、約千年の歳月を経て、ようやく独自の料理体系を完成させたのです。